TTM対話録 #07
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
志村季世恵さん & 北村たえさん 〈後編〉

2023.04.01
TTM対話録 #07<BR>ダイアログ・イン・ザ・ダーク<BR> 志村季世恵さん & 北村たえさん 〈後編〉

 

TTM対話録 #7

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

志村季世恵さん & 北村たえさん 〈後編〉

 

 

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ディレクター武笠綾子が展開するTHINGS THAT MATTER(以下TTM)のコレクションは『SENSE』と呼ばれる。SENSEが生まれるきっかけは彼女が体験したこと、興味関心のあること、日常で拾い集める感覚のカケラから派生していく。10回目に発表されたSENSEのタイトルは Dialog(対話)。武笠が「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下DID)」での体験をきっかけに感じたインスピレーションから生まれた。そして、特別に設営されたTTM特別プログラムと同時に発表されたSENSEを通して、私たちは暗闇の中での『対話』に出会った。--

 

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」とは、世界47カ国で展開され、日本ではこれまで約24万人が体験したソーシャル・エンターテイメント。完全に光を遮断した純度100%の暗闇を視覚障害者のアテンドと呼ばれる案内人と共に探検し、視覚以外の様々な感覚、コミュニケーションを楽しむエンターテイメントのことである。(公式ホームページより)

 

今回の記事は、デザイナー武笠、DIDを運営する一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事の志村季世恵さん、アテンドの北村たえさんと共にこの世界を通して私たちが見ているものとは何か、それぞれの認識を擦り合わせるように対話した記録である。なお、当記事の中でインタビューに参加した人物が答えたそれぞれの『感覚の話』については、視覚障害者だとかそうでないとか、立場は関係なくただ一人一人の世界をそれぞれが普段どのように受け取っているか、そもそも個々それぞれが異なる感覚や価値観を持っているという前提でお読みいただけたらと思う。

 

※インタビュー中の名前については、普段DIDのスタッフが呼ぶように下の名前で季世恵と表記します。また、アテンドの北村たえさんに関しましてはプログラム体験中に呼ばれるニックネームを引用し【たえ】と表記します。

 

インタビュアー 淡の間

 

 

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後編

 

 

 

ー武笠さんは初めてDIDを体験した90分の間で季世恵さんがお話しくださったようなセラピー効果というか「私がここにいる」という感覚のなかで涙が出るほど感動したことで、この体験を届けたいという気持ちや今回のコレクションのインスピレーションが生まれたんでしょうか。

 

武笠:そうですね。「他の誰でもない私がここにいるよ」っていうのを感じることできたことや、その体験の全てを形にしたいと思いました。グループのプログラムなので暗闇の中で周囲が見えなくても人の気配があるんですけど、元々自分が持っていた軸のようなものが今まで視覚優位だったので、誰がどこで何をしているかを他の感覚で情報を落とし込んでいく必要があるのですが、それが視覚で感じ取るよりも重く感じて。あと、私が体験した時はアロマも嗅がせてもらったりしたんですけど、内側にストレートに届くというか、嗅覚が研ぎ澄まされているという状態がどういうことなのかが分かりましたね。真っ暗だから始めはすごく怖いんですけど、後半になるにつれリラックスしてきてちょっと眠くなってきたんです。今回体験してくださった方もそんな風に仰った方が多かったんですが、眠くなるというか安心感が増えていくというのかな?それがすごく印象的でした。

 

ー確かに、最初は緊張しているからか交感神経が優勢になっていて、だんだん自分がここにいると知覚することで安心できるようになってゆるんできたのかな。それも自分のことを受け入れられる流れの一つなんでしょうか。今、武笠さんが言ってくれたように、今の社会っていうのは視覚による情報量が本当に多いですね。看板、あるいはインターネット。あるいは他のいろんな場所でも視覚から入ってくる膨大な情報量のなかで自分の存在を見失ってしまうというか、いったい自分はどこにいるかが分からなくなってしまう。そのなかで本当に必要な情報すらも分からなくなってしまうことが多いような気がしますよね。気づいたら惰性でずっとSNS見てしまうのに辞められないみたいな。

 

武笠:たった90分でも暗闇の中に自分を投じて何も見えない状態で純粋な自分との対話を行うと、不要な情報を一気に遮断して必要なものに神経を研ぎ澄ませることができるみたいな、ある意味強制的情報デトックスみたいなものにも近いような、そういった作用があるのかなと思いました。

 

ー次にたえさんにもお話を聞いてみたいと思います。先ほど(前編参照)私が漠然と、季世恵さんに「多様性についてどう思われますか、あるいは当事者意識についてどう思われますか」ということを投げかけました。たえさんにとっては、このテーマについてどう思われますか。

 

たえ:そうですね、多様性ってここ数年すごく言われるようになってきましたけど確かにふとそれ(多様性)ってなんだろうなって思うことってありますね。多数決でもないですし、見えている、見えていない、どちらがすごいというわけでもなく、まずは否定しないことだなあって思うんですね。先程季世恵さんからもお話があったんですけども、暗闇の中ってお互いが見えていないので、お互いが同一線上の同じ目線で対話ができる場所なんです。実は、私はそれを街中で感じたことがあったんですよ。まだ東京に住んでなかった時にホテルに泊まっていたんですけれども、帰るのがすごい夜中になってしまって。忘れもしない、池袋の駅で地下鉄の出口を間違えちゃったんですね。夜中だし、ああやばいな、ホテルがどこか分からない、出口が違うから全然分かんないぞって思った時に、10代ぐらいの夜の街を闊歩しているような男女が2人近寄ってきて、私を見つけて声をかけてきたんですよ。そこで、私は現状を説明すると「じゃあ一緒に行きますよ!」って。「大阪から来たんすか、すげえすね!すげえすね!」って言って。喋り方から推測するに、色んなものをじゃらじゃらとくっつけてるような派手な容貌の子たちなんですが、目の見えない私を案内してくれたんですよ。最後に私はホテルまで一緒に行ってくれて本当にすごい助かった、ありがとうって言った時に、彼らがすごい嬉しそうにしてくれるんですね。私はシンプルにありがとうって言ってるだけなのに、彼らは本当に嬉しそうに「頑張って下さいね!」とかまで言ってくれるんですね。その時に、きっと彼らは見た目だったりとかそういうもので、ありがとうとかすごい助かったよってシンプルに言ってもらうことが少ないのではないかと思って、私との体験が彼らにとっては自分を受け入れてもらった感覚があったのではないかって思ったんです。その時に、互いの状況を視覚での情報だけで決めつけてしまわないで互いにニュートラルな状態でいるっていうことは人間関係において必要なんだなと思ったのですが日常ではなかなか難しいかもしれません。ただ、この池袋での体験はDIDに参加してくださった皆さんがプログラム中に感じてくださっているようなことに近いのかもしれないなと。

 

ーなるほど、確かにそうですね。

 

たえ:はい。逆の立場からDIDを体験できたというか。私にとって見える世界はこれからもおそらくずっと知らないままです。けれども、知らないってことを前提にそれをニュートラルに受け止めていくと思います。多様性、それは多数決でもなんでもなくって、何かを受け入れるために何かを否定することなく条件や制限をなくしていくこととか、そういうことなのかなっていうふうに思いますね。

 

ー本当に素晴らしいお話をしてくださってありがとうございます。

 

季世恵:たえちゃんの話があまりに素敵だったので、もう少し話を続けてみたいのですが、私たちは多様性の中に自分のことも加えてみてねと言っているんです。自分とは異なる人を多様な人々と思うのではなく、私も誰かから見るとその中の一人ですよね。そうすると、全てが多様なんですよね。子どもも大人もお年寄りも国籍が違う人も、宗教も障がいがあってもなくても誰でも。それがあると、さっきたえちゃんが話したような、若い人たちもたえちゃんも、その池袋で同じ時間に歩いていた人たちなんですよね。そういうことが、大事なのかなあって思っています。たえちゃんの話ってほんとに素敵なんです。あまりに感動して泣いたこともあるんですが、「ねぇ、たえちゃん、たえちゃんの学校の生徒さんの虹の話をしてくれない?」

 

 

たえ:はい。私はずっと大阪の方に40年間住んでたんですが、そのうち20年ほど普通の公立高校で教諭をしてました。生徒たちは最初様子をうかがってくるんですね、この人いったいどんな人なんだろうとか、どうしたらいいんだろうって戸惑いもあれば、興味津々の子もいれば、いろんな形でその不安をこっちに示してくるんですけれども、授業を通してだんだん仲良くなっていくんですね。私は専任の教員じゃなくて非常勤だったのでとにかく子どもたちと仲良くなっていくことをすごく大事にしてました。中にはすごいやんちゃな子たちもいます。全然こっちの話してること何にも聞いてないなみたいな子たちもいるんですけど、でもそういう子たちって、普段は他の専任の、例えば担任の先生とかに「話を聞かない子」みたいな扱いをされてることがあったと思うんですけど、私はとにかく全員と仲良くなろうと思って接してました。そしてある時、普段クラスで一番やんちゃな女の子が授業中に窓際の席だったんですけど、私を呼ぶんですね。「先生、ちょっとこっち来て!」って呼ぶんですよ。で、「何、どうしたん」って言って行ったら、「ちょっとこっち来て」「いいからあっち見て!」って言って私に外の方向を指すんですね。で、私が「何、どっち?」って言ったらもうその子が堪りかねて私の頭を途中で向けて「こっち!とりあえずいいから見といて!」って言うんですよ。どうしたんだろうと思ったら「めっちゃ綺麗な虹出てんで!」「一緒に見たかってん!」って言ってくれるんですよ。その時ほんと言葉なくしちゃって、もう、なんだろうな全然授業とか聞いてなさそうな子が、私のことを、この人目が見えないからあれができないとか、これができるとかっていうものではない次元で自分のことを受け止めてくれていて、すごくきれいなものを一緒に共有したい、ただそれだけのことを強く思って行動してくれたというのがすごく嬉しくて。ちょうど10年ぐらい前のことですが、その時のことはいまだに忘れられないです。私の周りにはそういうことっていっぱいあって、例えば携帯で写真を送ってもらっても写真は見れないんですけど、よく私の携帯には虹の写真だったり美味しい魚の写真だったりいっぱい送ってきてくれる友達がいるんですよ(笑)きれいを共有したいっていう気持ちは状況や立場はどうであれ関係なくみんな思ってることなんだなって。もちろん私もその一人ですし。美術館に行くことも好きですよ。

 

季世恵:こういうことだなって、多様な人たちと幸せな空間を作るとか、そういうことのためにあるんだろうなって思ったりしています。

 

ー先ほど、たえさんが美術館に行くっておっしゃいましたよね。例えば大きい虹が出てることを教えてあげたいとか、この絵は美しい、このインスタレーションは素晴らしいと思ったから伝えたくなったとして、目が見えない方々と視覚優位の芸術的な体験はどうやって共有したらいいのでしょう。その気持ちがあるだけで、あるいはその空気だけで分かり合えるものなんでしょうか。

 

たえ:そういう話よくするんですよ、いろんな人と。私はよく美術館にもいきますし、音楽もやっているので、芸術に対する関心やアンテナはあるなと思ってるんです。例えば美術館に行くときに、私は一緒に行く相手を割と選ぶんですね。これだけを言うと丁寧に絵を説明してくれる人を連れていくのかとイメージされることが多いんですけど、絵の詳細を伝えてくれる人とは、おそらく私は絶対に、一緒に(美術館に)行かないと思います。それより、そんなこと全然ちゃんと伝えてくれなくても「すごーい!」って、私に強制的に虹を見せてくれた高校生みたいに自分の気持ちを素直にわぁーって見せてくれる人と一緒に行きたいなって思います。すみません、答えになってますかね?

 

ーすごく、なってます。ありがとうございます。

 

武笠:私も聞いてみたいことがあります。例えば目に見えなくても触った感覚で色彩を感じることはあるのでしょうか。今回のプログラムでも用意していた布を触って「目に見えないけどこの色だと思った」っていう方がいたんですよね。子どもは共感覚が優れているんだけど、大人になるにつれてそれがだんだん薄れていくって話を聞いたことがあるのですが、たえさんは色彩のことをどのように感じているのか伺ってみたかったです。

 

季世恵DIDをこどもたちと行った時に、暗闇の中で選んだ服を着てもらうことをやったんですね。そうすると子どもたちは、その服の色を勝手に想像するんですよ。そこで男の子が「これはピンクだ、絶対着ないわ」って言ったの。そしたらませた女の子が「そんなの分かるわけないじゃん、暗闇で」と。「あたしはこれ着るけど、色は関係なくて素材が好きだって思ったから着る」って言ったんです。でもさっきの男の子は素材に色を感じているので、「絶対これはオレンジかピンクだ」って。その後思い思いに服を選んで、身に付けたまま暗闇から光のある場に出ると、その男の子が青だと思って選んだ服がピンクだったの。すごいガッカリしていたんだけど、手触りの感覚と色を紐づけることが子どもは自然とできるんだなって話ですね。当たるとか、当たらないじゃなくてもそれを面白く伝えてくれるのが子ども。でも大人も実は、色彩という概念を想像しながら話しているんだろうと思うし。あと、他にも面白いエピソードがありました。もともと目が見えていたのに途中から見えなくなった人が、誰かの声を聞いて色をイメージすることがあるんだそうです。たまたま知人を暗闇にご案内したときに「シルバーと紫が合わさった色だなって思う」って言ったのです。すると「その色は僕が一番好きな色です」っておっしゃったんです。私に対しても色を伝えてくれましたが、同じように自分が好きな色で、面白いなって思いました。

 

ー面白いですね!たえさんは色の知覚についていかがですか。

 

たえ:そうですね、色っていうものを自分の中で除外してるってことは全くないですね。

実際に赤を赤として、ビジュアルとして、色を「見た」経験はないんですが、色に対して無感覚かって言われるとそういうわけでもないし、色の概念というか、私なりの色の捉え方っていうのがすごくあって、色そのものを大事にしています。認識方法としては、きっと経験と経験値と、あとは知識と経験といろんなものが合わさって自分の中でをイメージしているんだろうなと。ただイメージなので、もし私がこの時点で色が急に見えるようになったら、赤を見て黄色って言ってるかもしれないんですけどね。でも私の中での色に対する好き嫌いと、ものや色に対するイメージは大体リンクしています。例えば服とかを選ぶときにも選ぶ基準や情報を自分なりに総合的にキャッチして全体的なイメージを感じてるのかなって思います。もちろん、この人にはこの色が合いそうっていうのも見えなくてもなんとなくあるんですね。

 

ーそうですか。では、いま目の前にいる季世恵さん、そしてディレクターの武笠さんからは何色を感じますか?

 

たえ:えー、何色かなあ雰囲気ですよね

 

ー雰囲気でもいいです。どういう印象がありますか?

 

たえ:季世恵さんはねえ、私そうだなあちょっと赤でもないんですよね。なんだろう、ちょっと薄い、えんじっぽい感じとかかなあ。

 

一同:おお!

 

たえ:でも割と明るめな色な感じはする。でも、原色じゃないんですよ。すいません、勝手に(笑)

 

ーとんでもないです、季世恵さん素敵な花柄の赤のお洋服を着てらっしゃいます。驚いてしまいました(笑)

 

季世恵:他のアテンドからは、淡いグリーンとほわっとした黄色が合わさった色だってよく言うんですよ。みんなそれぞれ違っても、淡いっていうのは似てるんですね。面白いなと思って聞いてます。

 

ーそれではディレクターの武笠さんはいかがですか。

 

たえ:難しいけど、私この間一回お会いしましたよね?なんとなくですけど、どうだろうそれこそ黄色系?ちょっとクリーム色系のなんかなんかすごい難しいけど赤じゃないなって。

 

ー武笠さん、髪の色がクリーム色というか金髪です!

 

たえ:別にこれは超能力でもなんでもないです(笑)でもやっぱり、その人の醸し出してる雰囲気を感じ取ることはあるかもしれないです。あとなんだろう、これは私の勝手な妄想なんですけど、例えばこの人がどんな色を纏ったら似合うだろうって考えるんですよね。でも根拠を聞かれるとまたこれも難しくって、また堂々巡りでまた戻っていっちゃうんですけども、でもそういう全体的な雰囲気というか、総合的なものを拾ってるかなって感じですね。

 

ーとても興味深かったです、ありがとうございます。武笠さん、今日は本当に素晴らしいお話をお聞きすることができましたね。

 

武笠:今回のお話、どれをとっても大変勉強になりました。DIDのプログラムは毎回違う発見があるというか、始めは怖いんですけど体験するたびに一旦自分に戻らせてもらえる場所なので、外側に意識が向いている時やバタバタして落ち着かない時に一旦立ち止まって自分との対話をするためにまた訪れようと思います。今日の対話録の最中も暗闇の中で自分を見つけて立ち返らせてもらえるようなそんな心地がしました。皆様、本当にありがとうございました。

 

前編はこちら

 

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